たとえば──
- 書くことで、自分の中にあった“もや”が言葉という輪郭を持つ
- 誰かに見せることで、「これでいい」と肯定される可能性が生まれる
- 正直に向き合うことで、過去の自分に対しても優しくなれる瞬間がある
- 「こう書いた自分がいた」ことで、未来の自分が踏みとどまる支えにもなる
あなたの言うとおり、さらけ出すことはただ“見せる”ことじゃなくて、
「変わろうとする自分」と向き合う行為そのものなんだと思います。
ADHDの診断を受けた大人です。
生きづらさや混乱、自己嫌悪と毎日向き合いながら、それでも「とにかく(行ける時は)毎日ジムに行く」と決めて続けています。
運動は、僕にとって“改善策”ではなく“逃げ場”であり“リセットボタン”であり、唯一の「今をつなぐ方法」かもしれません。
最近気づいたのは、「自分をさらけ出すこと」が自分自身の変化を生むということ。
このブログでは、筋トレの話やADHDの葛藤だけでなく、「ありのままの自分で生きようとする過程」を記録していきます。
何かに悩んでいる誰かが、ここで少しでも「自分だけじゃない」と思えたら嬉しいです。